其の壱

「伊那」・「飯田」

・伊那は、伊奈とも以奈とも書いたことは、倭名抄にも見えている。稲に関係する以奈木(稲木)や伊奈
久良(倉廩=穀物を蔵する也)などのことばに見ても、伊那の地名が稲に関することばから出たものであることは、ほぼ推想出来るとしなければならない。〈信濃地名新考〉
・「いな」(伊那)は非常に古い起源の高みや丘陵、段丘などをいう「うな」に由来する地名で、これが、「いな」に転じたものとみられ、さらに「うな」をたずねると、田や畑に見られる「うね」にいきつくわけです。また「恵那山トンネル」の「恵那」も「うな」と同一の語源とみるのがよく、そうすると、「伊那」とも強い関連というよりも同じ性格の地名といえるわけです。〈長野県の地名 その由来〉


・飯田という地名は結い田(共同で耕作する田)より起こったという説もあるが、飯をとる田というくらいの意味であると思っている。〈新しなの地名考〉
・一、神の飯田となす説
この説は太古諏訪の健御名方命がこの信濃へ御入國になったときか、或はそれ以後のことかもしれない。この地方を御巡見になった際、供御あらせられたと言う伝承から起った説
二、ゆひ田の説
即ちこの地方でも今に行われている遺風にゆひと言うことがあるが、飯田の語源も、元始農業の集団的耕稼形式の遺名から起ったのであろうと言う説
三、 井田、下井田から起った説
この地名は上井田、下井田などの如く松川の水を ぎ入れて出来た井田でなかろうか〈伊那地名風土記〉
にをいがけにも役立つ
とりあえずここらへんの
地名の由来
−キッカケ−
ある日、「馬場町」という地名を目にした。それまでこの響きには不思議な感覚を持っていたが、昔の殿様時代の馬を木に縛っておく所だと聞いてからは、「馬場町」という地名を、一定の理解を持って見ることが出来るようになった。そのときである。「これを場面を拡げて取り上げたらどうだろうか。」イメージは一気に膨らんだ。そして、それを「にをいがけ」とリンクさせる事で、完全に「基樹」のコーナーとしての大儀を包括する事が出来たのである。